居場所

人は、社会性を持つ生き物です。
属するグループの数だけ、“顔”を持っています。
と言った方がわかりやすいかもしれませんね。
例えば私なら、
社会人として働かず、専業主婦として生活しているけれど
その顔(面)は決して一つではありません。

私は主婦の顔を持ち、同時に女の顔、妻の顔、母の顔、PTAの顔、
様々な趣味に打ち込む顔も持っていて、
来年は自治会の役員なんかも受け持つわけです。

何が言いたいかというと、
そんな顔の一つが否定されたって、他の顔があるってこと。
一部分にダメだしされたって、私全体にダメだしされたわけじゃないってことです。

20代の頃、この考えを、パフォーマンス学をやっていらっしゃる佐藤綾子さんの
本で学びました。
私はくよくよする性格なので、これを読んだ時には天から光が差した思いでした。

そして、この顔は、=居場所と置き換えられるのではないかと思います。
↓の記事で『学校にも家にも居場所がなかった』という話につながっていくのですが、
子どもの頃は大人と違って社会性が低いので、
この顔(面)=居場所が少ないと思うのです。

経験が少なければ少ないほど、そうなりますね。
その居場所が『自分には全く無い』と思った時、
人は自分で自分を殺してしまうのではないかと思います。

では、学校でも家でも居場所を感じられなかった私が
どうして死ぬことをとどまったかというと、
私には微かではあったけれど居場所が残っていたのです。

それは、学校の先生でした。
誰か一人の先生が支えてくれたのではなく、それはまるで点のような、
何人かの先生との関わりでした。

平たく言えば、私は優等生でしたので教師からの評判は良かったのです。
いい子ぶって子どもらしくない子どもだったから同級生から嫌われたかもしれませんが
『私をいじめる奴はみ~んな私より下。』と、いじめる奴らをバカにすることで
私は私の自尊心をギリギリ保つことができました。

あんまりいい考え方じゃないですけどねw

でも、いい話もあるんですよ。
小学6年生の時でした。
夏休みに転校することが決まって、あと少しで1学期が終わる、という日でした。
学年合同の水泳の授業をしていた時、
隣のクラスの先生が選別の言葉を下さったんです。

「あなたはとてもいい娘なのに、怒ると、ぷっと顔に出てしまうところがあって、
それでお友達も近づきにくくなるから、ちょっとだけ、顔に出ないように
してごらんなさい。
せっかくこんなにいい娘なのに、もったいないから。」

そんな言葉だったと思います。
隣のクラスの先生なんて、廊下で挨拶をするくらいで
一度も話をしたことなんかありませんでした。
そんな先生が私のことを見ていてくれたことも驚いたけど嬉しくて、
何よりも『あなたはいい娘だから』と言ってくださったことに感激しました。
そんなこと、親からは一度だって言われたこと無いもの。
今でも思い出すと、心がじんとして涙が出てきます。

こんな、点のような思い出が、思春期の私を支えてきました。
今ここに私が生きているのは、
そうして私を認めてくださった先生達のお陰なんです。






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by Miss-Lavendar | 2006-12-21 15:41 | ◆ 多感・雑感

ふと感じたこと、気づいたことをつぶやいています。


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